2021/02/24
Sake
「特別純米酒」って、ナニが「特別」なんですか?
「特定名称」を覚えると、もっと日本酒がわかりやすくなります
お酒屋さんに並ぶたくさんの日本酒。その中からドンピシャ好みのお酒を選ぶことは、なかなかに難しいものです。ふと、ときめいて手にしたお酒が、一体どんな風味の日本酒なのか。これを推測する際に、一つの指標になるのが「特定名称」です。
例えば・・・、ラベルに「大吟醸」と書いてあれば、そのお酒は「(大吟醸=)精米歩合が50%以下(1粒のお米を50%以上磨く)」となりますから、きっと「濃厚さを味わうタイプではなく、スッキリとした印象」ではないか、と想像できますし、「純米」の文字が入っていないので、「醸造アルコールを添加している」わけですから、より「スッキリとキレのある味わい」で「香りも華やか」なのではないかと考えられるわけです。
例えば・・・、「純米吟醸酒」の場合、「純米」の文字が入っていますから、「醸造アルコールの添加は無し」で、原料としては、「米と米こうじ」のみとなります。そこから、お米由来の「旨味」をしっかりと楽しめそうだな、となるのですが、さらに「吟醸」とありますから、「精米歩合は60%以下」。大吟醸酒の「精米歩合50%以下」というほどは磨かないけれども、すっきり感と旨味の程よいバランスを楽しめそう・・・、と想像できるわけです。
このように、「大吟醸」「吟醸」「純米」という代表的な「特定名称」と「その規定」を覚えておくと、今まで飲んだことのないお酒でも、すごくざっくりとではありますが、お酒の特徴の方向性を推し量る参考になります。
「特別純米酒」って、ナニが「特別」?
それでは「特別純米酒」とは、どんなお酒を表しているか、ご存知でしょうか?
まずは「純米酒」についておさらいです。「純米酒」は原料に「醸造アルコール」を含めず、「米と米麹」のみで造られる日本酒です。「香り高くなる」「スッキリした味わい」など、醸造アルコールを加えることでのメリットもありますが、何と言っても、原料が「米と米こうじ」のみ、ですから、米本来の味わい・旨味を楽しむことのできるのが「純米酒」の魅力です。
以前はこの「純米酒」の規定に、精米歩合が「70%以上であること」が含まれていました。けれども現在では、この規定は取り外されています。酒造りの技術も上がり、精米歩合が70%以下(お米を30%以上削る)でも、純米酒特有の旨味を楽しむことのできるお酒を作ることができるようになった、ことが一因と言われています。
国税庁の説明によると「精米歩合60%以下または特別な製造方法(要説明表示)」「香味、色沢が特に良好」であること、とあります。
一般的には、「純米酒」といえば「精米歩合が高い(=お米をあまり磨かない)」ものが主流ですが、「特別純米酒」では、精米歩合が「60%以下」であることが多いので、「濃厚なコク」というよりも「お米由来の旨味を楽しめつつ、ややスッキリとした味わいで飲みやすい」というイメージになるわけです。
「生一本」って、どういう意味?
こちらも、国税局の説明を引用すると・・・ 「ひとつの製造場だけで醸造した純米酒に表示できます」とあります。
「SAKETIMES」さんの記事「生一本(きいっぽん)」とは? ― 日本酒用語解説」によれば、極めて評判の高かった産地である伊丹や灘の名を語った偽物の酒が市場に出回ったことがあったそうで、偽物と区別するために、この「生一本」の表記が始まったのだそうです。
今回、リーデル『純米』グラスとの特別セットが組まれた、宮城県、佐浦酒造さんの「浦霞 特別純米酒 生一本」は、ここまでの解説を参考にその名前を紐解くと、「宮城県産のササニシキを、この佐浦酒造の蔵だけで醸した、精米歩合60%以下の、醸造アルコールを添加しない、旨味とともにスッキリ感を楽しめる上品な純米酒」ということがわかるわけです。
佐浦酒造さんならではの、外連味のない上品な米の旨味をじっくりと味わうことのできるこの「特別純米酒」と、『純米』グラスの相性は格別です。『純米』グラスのワークショップで実際に使用されたのも、このお酒でした。
今回、佐浦酒造さんでは、この「浦霞 特別純米酒 生一本」と、リーデル『純米』グラスの特別セットを、数量限定でご用意いただきました。
なぜ『純米』グラスがこのような形状をしているのか、この動画で詳しくご説明していますので、ぜひ、お酒をお楽しみながらご覧ください。佐浦社長との対談の模様も収録されていますので、お見逃しなく!
蔵も少し見学させて頂きましたので、その様子を写真でご覧ください。
仙台を訪れた時には、まさか、これほどの大きな地震が発生するとは思ってもみませんでした。2021年2月13日、福島県沖で発生した大地震は、10年前の東日本大震災の余震と言われています。
「10年ひと昔」と言われるように、10年という期間は、私たち人間にとっては、時代の移り変わりを感じさせるほどの、ある程度まとまった時間の経過、と感じられますが、地球から見れば、ほんの一瞬にすぎないのかもしれません。
一日も早い被災地の復興を願いつつ。